大久米命
- 名前
- 大久米命【古事記】(おおくめのみこと, おほくめのみこと)
- 大来目【日本書紀】(おおくめ, おほくめ)
- キーワード
- 久米直等之祖【古事記 中巻 神武天皇段】
- 久米連祖【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇二年二月乙巳条】
- 生年月日
- ( ~ 戊午年6月24日)
- 没年月日
- (神武天皇2年2月2日 ~ )
- 出来事
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戊午年6月24日
日臣命は大来目を率いて、大軍の将として、山を踏み道を分けて、烏が向うのを仰ぎ見ながら追った。
【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年六月丁巳明旦条】
そして菟田 の下県 に着いた。
それでその地を菟田の穿邑 穿邑。此云于介知能務羅。という。 -
神武天皇が大后とする美人を探し求める時、大久米命が「ここに
【古事記 中巻 神武天皇段】少女 がおります。これは神の御子といいます。その神の御子というわけは、三島湟咋の女の勢夜陀多良比売は容姿が美しく、美和の大物主神がそれを気に入り、その美人が大便をする時に丹塗 矢と化し、大便をする溝を流れ下って、その美人の陰部を突きました。美人は驚いて走り回り、慌てふためきました。そしてその矢を持って来て、床のそばに置くと、矢は麗しい壮夫となり、その美人を娶りました。そして生まれた子を富登多多良伊須須岐比売命、またの名を比売多多良伊須気余理比売といいます(これは『ほと女性の陰部』という名を嫌って後に名を改めたのである)。それでこれを神の御子というのです」と言った。 -
七人の少女が
高佐士野 で遊んでいた。伊須気余理比売もその中にいた。
大久米命はその伊須気余理比売を見ると、歌で天皇に尋ねた。「
夜 麻 登 能 多 加 佐 士 怒 袁 那 那 由 久 袁 登 賣 杼 母 多 禮 袁 志 摩 加 牟 」伊須気余理比売は少女達の先頭に立っていた。
天皇はその少女達を見て、伊須気余理比売が先頭に立っていることを知り、歌で答えた。「
加 都 賀 都 母 伊 夜 佐 岐 陀 弖 流 延 袁 斯 麻 加 牟 」大久米命は天皇の言葉を使って伊須気余理比売に詔した。
すると大久米命の入れ墨をした鋭い目を見て不思議に思い、歌った。「
阿 米 都 都 知 杼 理 麻 斯 登 登 那 杼 佐 祁 流 斗 米 」大久米命は歌で答えた。
「
袁 登 賣 爾 多 陀 爾 阿 波 牟 登 和 加 佐 祁 流 斗 米 」こうしてその少女は「お仕え致しましょう」と言った。
【古事記 中巻 神武天皇段】 -
神武天皇2年2月2日
神武天皇は大来目を
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇二年二月乙巳条】畝傍山 の西の川辺の地に住まわせた。今来目邑 というのは、これがそのもとである。
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