竹田皇子
- 名前
- 竹田皇子【日本書紀】(たけだのみこ)
- 竹田王【古事記】(たけだのみこ)
- 小貝王【古事記】(おかいのみこ, をかひのみこ)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 用明天皇2年4月2日)
- 没年月日
- (用明天皇2年7月1日 ~ 推古天皇36年3月7日)
- 父
敏達天皇 【日本書紀 巻第二十 敏達天皇五年三月戊子条】
- 母
推古天皇 【日本書紀 巻第二十 敏達天皇五年三月戊子条】
- 先祖
- 出来事
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用明天皇2年4月2日記事に二年夏四月乙巳朔丙子とあるが、乙巳を朔日とすると丙子(32日)は誤り。次の崩御記事が癸丑(9日)であるから丙午(2日)か壬子(8日)が候補か。当サイトでは丙午とする。
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用明天皇2年7月
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(推古天皇元年 ~ 推古天皇36年3月7日)
推古天皇から群臣に遺詔があり、「近年は五穀が実らず人民はひどく飢えている。朕の為に陵を興して厚く葬ってはならない。竹田皇子の陵に葬ればよい」と。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十六年九月戊子条】 -
推古天皇36年3月7日
推古天皇が崩じる。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十六年三月癸丑条】 -
推古天皇36年9月18日日本書紀では九月の朔日を己巳としている。そうすると壬辰は二十四日になる。しかし暦的には甲戌あたりが適当なはずで、己巳朔は矛盾が生じる。仮に推古天皇三十七年(舒明天皇元年)九月己巳朔とすると暦的に矛盾は生じない。