開化天皇
- 名前
- 漢風諡号:開化天皇(かいかてんのう, かいくゎてんわう)
- 和風諡号:稚日本根子彥大日日天皇【日本書紀】(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと, わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと)稚日本根子彦大日日天皇
- 稚日本根子彥大日日尊【日本書紀】(わかやまとねこひこおおひひのみこと, わかやまとねこひこおほひひのみこと)稚日本根子彦大日日尊
- 若倭根子日子大毘毘命【古事記】(わかやまとねこひこおおびびのみこと, わかやまとねこひこおほびびのみこと)
- 春日宮御宇天皇【先代旧事本紀】(かすがのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)
- 春日率川宮御宇天皇【先代旧事本紀】(かすがのいざかわのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと, かすがのいざかはのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)
- 稚日本根子彥太日日天皇校異【日本書紀】(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと, わかやまとねこひこおほひひのすめらみこと)稚日本根子彦太日日天皇
- 稚日本根子太日日天皇【日本書紀】(わかやまとねこおおひひのすめらみこと, わかやまとねこおほひひのすめらみこと)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 孝元天皇7年
- 没年月日
- 開化天皇60年4月9日
- 父
孝元天皇 【日本書紀 巻第四 孝元天皇七年二月丁卯条】
- 母
鬱色謎命 【日本書紀 巻第四 孝元天皇七年二月丁卯条】
- 先祖
- 配偶者
- 子
- 称号・栄典とても広〜い意味です。
- 出来事
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孝元天皇7年日本書紀の立太子の記事の年齢から判断。斂葬の記事にある年齢から推測すると孝元天皇3年になるが採用せず。
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孝元天皇22年1月14日
立太子。
【日本書紀 巻第四 孝元天皇二十二年正月壬午条】
年十六。 -
孝元天皇57年9月2日
孝元天皇が崩じる。
【日本書紀 巻第四 孝元天皇五十七年九月癸酉条】 -
孝元天皇57年11月12日
即位して天皇となる。
【日本書紀 巻第四 開化天皇即位前紀 孝元天皇五十七年十一月壬午条】-
孝元天皇57年2月先代旧事本紀は開化天皇元年の年干支を癸未としているが、日本書紀では甲申としている。当サイトでは開化天皇元年の年干支は甲申を採用しているので悪しからず。
即位して天皇となる。
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 開化天皇元年二月条】
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開化天皇元年1月4日
皇后先の皇后鬱色謎命。を尊んで皇太后とする。
【日本書紀 巻第四 開化天皇元年正月癸酉条】-
開化天皇元年1月先代旧事本紀は開化天皇元年の年干支を癸未としているが、日本書紀では甲申としている。当サイトでは開化天皇元年の年干支は甲申を採用しているので悪しからず。
皇后先の皇后鬱色謎命。を尊んで皇太后とする。
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 開化天皇二年正月条】
皇太后先の皇太后細媛命。を尊んで太皇太后を追贈する。
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開化天皇元年10月13日
【日本書紀 巻第四 開化天皇元年十月戊申条】春日 春日。此云箇酒鵝。の地に遷都する。これを率川宮 率川。此云伊社箇波。という。-
【古事記 中巻 開化天皇段】春日之伊邪河宮 にて天下を治めた。
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開化天皇5年2月6日
大日本根子彦国牽天皇孝元天皇を
【日本書紀 巻第四 開化天皇五年二月壬子条】剣池島上陵 に葬る。 -
開化天皇6年1月14日
伊香色謎命を立てて皇后とする。これは庶母である。
【日本書紀 巻第四 開化天皇六年正月甲寅条】
后は御間城入彦五十瓊殖天皇を生んだ。
これより先、天皇は丹波竹野媛を召し入れて妃とし、彦湯産隅命が生まれた。またの名は彦蒋簀命。
次の妃、和珥臣 の遠祖の姥津命の妹の姥津媛は彦坐王を生んだ。-
旦波之大県主 、名は由碁理の女の竹野比売を娶り、生まれた御子は
比古由牟須美命の一柱。また庶母伊賀迦色許売命を娶り、生まれた御子は
御真木入日子印恵命、
次に御真津比売命の二柱。また
丸邇臣 の祖日子国意祁都命の妹の意祁都比売命を娶り、生まれた御子は日子坐王の一柱。また葛城之垂見宿禰の女の鸇比売を娶り、生まれた御子は
建豊波豆羅和気王の一柱。
天皇の御子らは合わせて五柱。男王四・女王一である。御真木入日子印恵命は天下を治めた。
その兄の比古由牟須美王の子は
大筒木垂根王。
次に讃岐垂根王の二王。
この二王の女は五柱いた。次に日子坐王は山代之荏名津比売。またの名は苅幡戸弁を娶り、生まれた子は
大俣王。
次に小俣王。
次に志夫美宿禰王の三柱。また春日建国勝戸売の女の沙本之大闇見戸売を娶り、生まれた子は
沙本毘古王。
次に袁邪本王。
次に沙本毘売命。またの名は佐波遅比売。この沙本毘売命は伊久米天皇の后である。
次に室毘古王の四柱。また
近淡海 の御上の祝 の人が祀る天之御影神の女の息長水依比売を娶り、生まれた子は
丹波比古多多須美知能宇斯王。
次に水穂真若王。
次に神大根王。またの名は八瓜入日子王。
次に水穂五百依比売。
次に御井津比売の五柱。またその母の妹の袁祁都比売命を娶り、生まれた子は
山代之大筒木真若王。
次に比古意須王。
次に伊理泥王の三柱。
日子坐王の子は合わせて十一王。兄の大俣王の子は
曙立王。
次に菟上王の二柱。
曙立王は伊勢之品遅部君 ・伊勢之佐那造 の祖である。
次に菟上王は比売陀君 の祖である。次に小俣王は
当麻勾君 の祖である。
次に志夫美宿禰王は佐佐君 の祖である。
次に沙本毘古王は日下部連 ・甲斐国造の祖である。
次に袁邪本王は葛野之別 ・近淡海蚊野之別 の祖である。
次に室毘古王は若狭之耳別 の祖である。美知能宇志王は丹波之河上之摩須郎女を娶り、生まれた子は
比婆須比売命。
次に真砥野比売命。
次に弟比売命。
次に朝廷別王の四柱。
朝廷別王は三川之穂別 の祖である。
この美知能宇斯王の弟の水穂真若王は近淡海之安直 の祖である。
次に神大根王は三野国之本巣国造・長幡部連 の祖である。次に山代之大筒木真若王は同母弟の伊理泥王の女の丹波能阿治佐波毘売を娶り、生まれた子は迦邇米雷王。
この王は丹波之遠津臣の女、名は高材比売を娶り、生まれた子は息長宿禰王。
この王は葛城之高額比売を娶り、生まれた子は
息長帯比売命。
次に虚空津比売命。
次に息長日子王の三柱。
この王息長日子王は吉備品遅君 ・針間阿宗君 の祖である。
また息長宿禰王は河俣稲依毘売を娶り、生まれた子は大多牟坂王。
この者は多遅摩国造の祖である。さきに述べた建豊波豆羅和気王は
【古事記 中巻 開化天皇段】道守臣 ・忍海部造 ・御名部造 ・稲羽忍海部 ・丹波之竹野別 ・依網之阿毘古 らの祖である。 -
四皇子が誕生した。
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 開化天皇紀末段】
子の御間城入彦五十瓊殖尊。
次に彦坐王。当麻坂上君 らの祖。
次に彦蒋簀命。品治部君 らの祖。彦湯産隅命。
次に武歯頬命。道守臣 らの祖。
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開化天皇8年1月先代旧事本紀は開化天皇元年の年干支を癸未としているが、日本書紀では甲申としている。当サイトでは開化天皇元年の年干支は甲申を採用しており、ここでは元年甲申の開化天皇八年としておく。
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開化天皇8年2月先代旧事本紀は開化天皇元年の年干支を癸未としているが、日本書紀では甲申としている。当サイトでは開化天皇元年の年干支は甲申を採用しており、ここでは元年甲申の開化天皇八年としておく。
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開化天皇28年1月5日
御間城入彦尊を立てて皇太子とする。
【日本書紀 巻第四 開化天皇二十八年正月丁酉条】
年十九。 -
開化天皇60年4月9日
崩じる。
【日本書紀 巻第四 開化天皇六十年四月甲子条】-
御年六十三歳。
【古事記 中巻 開化天皇段】
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開化天皇60年10月3日
【日本書紀 巻第四 開化天皇六十年十月乙卯条】春日率川坂本陵 に葬られる。-
【日本書紀 巻第四 開化天皇六十年十月乙卯条 一云】
坂上陵 に葬られる。
時に年百十五。立太子の記事にある年齢から推測すると、111歳になるので食い違う。 -
御陵は
【古事記 中巻 開化天皇段】伊邪河之坂上 にある。
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