弟橘媛
- 名前
- 弟橘媛【日本書紀】(おとたちばなひめ)
- 弟橘姬校異【日本書紀】(おとたちばなひめ)弟橘姫
- 弟橘比賣命【古事記】(おとたちばなひめのみこと)弟橘比売命
- 弟媛校異【先代旧事本紀】(おとひめ)
- 性別
- 女性
- 没年月日
- (景行天皇40年10月7日 ~ 景行天皇41年)
- 親
忍山宿禰 【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年是歳条】
- 先祖
- 配偶者
日本武尊 【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年是歳条】
- 子
稚武彦王 【日本書紀 巻第七 景行天皇五十一年八月壬子条, 先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:日本武尊 (倭建命 )】稲入別命 【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:日本武尊 】武養蚕命 【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:日本武尊 】- 葦敢竈見別命【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:
日本武尊 (倭建命 )】 息長田別命 【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:倭建命 】五十目彦王命 【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:日本武尊 】伊賀彦王 【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:日本武尊 】武田王 【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:日本武尊 】佐伯命 【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 成務天皇四十八年三月庚辰朔条】【父:日本武尊 】
- 出来事
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日本武尊の妃となる。
【日本書紀 巻第七 景行天皇五十一年八月壬子条】 -
(景行天皇40年10月7日 ~ 景行天皇41年)
日本武尊は
【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年是歳条】上総 に入ろうとした。
海を望み、高らかに言うには「このような小さな海など跳んで渡れるだろう」と。
しかし海中で暴風が忽ちに起り、王船は漂って渡ることが出来なかった。
時に王に従う妾がいた。弟橘媛という。穂積氏の忍山宿禰の女である。
弟橘媛が王に言うには「風が起り、浪は速く、王船は沈もうとしています。これはきっと海神 の仕業で御座います。賤しい私の身を王の命に代えて海に入ります」と。
言い終わると波を押し分けて入っていった。すると暴風は止み、船は着岸できた。
それで時の人はその海を名付けて馳水 という。-
走水海 を渡る時、その渡しの神が浪を起こして船を回したため、進むことが出来なかった。
そるとその后、名は弟橘比売命が言うには「私が御子の為に海の中に入ります。御子は遣わされた任務を成し遂げてご報告なさいませ」と。
まさに海に入るときに菅畳八重・皮畳八重・絁畳八重を波の上に敷き、その上に下りた。すると荒波は静まり、船は進むことが出来た。
そこでその后が歌った。「
佐 泥 佐 斯 佐 賀 牟 能 袁 怒 邇 毛 由 流 肥 能 本 那 迦 邇 多 知 弖 斗 比 斯 岐 美 波 母 」それから七日後。その后の御櫛が海辺に流れ着いた。その櫛を取り、陵を造って納めた。
【古事記 中巻 景行天皇段】
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