道臣命
- 名前
- 道臣命【日本書紀】(みちのおみのみこと)
- 道臣【日本書紀】(みちのおみ)
- 導臣命【先代旧事本紀】(みちのおみのみこと)
- 導臣【先代旧事本紀】(みちのおみ)
- 日臣命初名。【日本書紀】(ひのおみのみこと)
- 日臣【先代旧事本紀】(ひのおみ)
- 嚴媛【日本書紀】(いつひめ)厳媛
- キーワード
- 大伴氏之遠祖【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年六月丁巳条】
- 大伴連等之祖【古事記 中巻 神武天皇段】
- 大伴氏遠祖【古語拾遺 神武天皇段】
- 大伴連等祖【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇二年二月乙巳条】
- 後裔は右京
高志連 ・和泉国大伴山前連 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 生年月日
- ( ~ 戊午年6月24日)
- 没年月日
- (神武天皇2年2月2日 ~ )
- 出来事
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戊午年6月24日
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戊午年8月2日
天皇は道臣命を密かに遣わして、兄猾に反抗の意思があることを調べさせた。
【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年八月乙未条】
道臣命は殺害する意思があることを知り、激怒して大声で責めて言うには「卑しい奴め。お前が造った部屋にお前自身が入れ」と。
そして剣を構え、弓を引き絞り、中へ追い詰めた。兄猾は天に背いたことで言い逃れできず、自ら仕掛けた罠を踏んで圧死した。その屍を引き出して斬った。流れる血は踝を濡らした。それでその地を名付けて菟田 の血原 という。 -
戊午年9月5日
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戊午年10月1日
神武天皇は密かに道臣命に勅して「お前は
大来目部 を率いて、大室を忍坂邑 に造り、盛んに酒宴を設けて賊を誘って討ち取りなさい」と。
道臣命は密かに勅を受けて、室を忍坂に掘り、強者を選んで賊と住まわせた。
密かに「酒宴たけなわの後、私は立って歌う。お前たちは私の歌の声を聞いたら賊をまとめて刺せ」と命じた。
その時になり、坐って酒を飲んだ。賊は陰謀があるのを知らずに、心のままに酒に酔った。道臣命は立って歌った。「
於 佐 箇 廼 於 朋 務 露 夜 珥 比 苔 瑳 破 而 異 離 烏 利 苔 毛 比 苔 瑳 破 而 枳 伊 離 烏 利 苔 毛 瀰 都 瀰 都 志 倶 梅 能 固 邏 餓 勾 鶩 都 都 伊 異 志 都 都 伊 毛 智 于 智 弖 之 夜 莽 務 」味方の兵は歌を聞いて、ともにその
【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年十月癸巳条】頭椎剣 を抜いて全ての賊を殺した。 -
日臣命は大軍の将として、凶賊を斬り払った。君を助けた功に比肩する者はいなかった。
【古語拾遺 神武天皇段】-
己未年2月記事ではこの日を己巳年二月辛卯朔庚辰としているが、これでは50日になってしまう。とりあえず日は省略する。ちなみに日本書紀では、この月の朔日を壬辰としている。
軍を率いて逆賊を征服したことを報告する。
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇即位前紀 己未年二月庚辰条】
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神武天皇は都を
橿原 に建てて、帝宅を造った。日臣命は
【古語拾遺 神武天皇段】来目部 を率いて宮門を護り、その開闔を掌った。 -
初めて天皇が国政を始める日に、道臣命が
【日本書紀 巻第三 神武天皇元年正月庚辰朔条】大来目部 を率いて密命を受け、よく諷歌 ・倒語 をもって、災いを払った。倒語を用いるのはこれより始まった。 -
神武天皇2年2月2日
神武東征の功により、宅地を賜って
【日本書紀 巻第三 神武天皇二年二月乙巳条】築坂邑 に住み、特に寵された。-
神武天皇2年2月2日
道臣命に詔して「お前は忠節で勇ましく、良く導いた功がある。よって先ず日臣を改めて道臣とする。加えて大来目を率い、軍の将として密命を受け、
【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 神武天皇二年二月乙巳条】諷歌 ・倒語 を用いて妖気を払った。このように功を成すことに忠実であった。将軍と為して後世に伝えよう」と。
その倒語を用いるのは、この時より始まった。
また道臣に宅地を賜り、築坂邑 に住まわせ、これを以って報いとした。
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