近仇首王
- 名前
- 近仇首王(きんきゅうしゅおう)
- 仇首王(きゅうしゅおう)
- 貴須王【日本書紀】(きすおう, くゐすわう)
- 貴須【日本書紀】(きす, くゐす)
- 貴首王【日本書紀】(きしゅおう, くゐしゅわう)
- 近貴首王【新撰姓氏録抄】(きんきしゅおう, きんくゐしゅわう)
- キーワード
- 後裔は右京
菅野朝臣 ・右京雁高宿禰 ・右京広津連 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 後裔は右京
- 性別
- 男性
- 父
- 先祖
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- 近肖古王
- unknown
- 子
- 出来事
- ・・・
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249年(3月31日 ~ 4月29日)
神功皇后は荒田別・鹿我別を新羅征伐の将軍とした。
そして久氐らと共に兵を整えて卓淳 国に至り、まさに新羅を襲おうとした時に、ある人が言うには「兵が少なくて新羅を破ることは出来ません。沙白・蓋盧を送って増兵を請いましょう」と。
そこで木羅斤資・沙沙奴跪に命じて、精兵を率いて沙白・蓋盧と共に遣わした。
共に卓淳に集い、新羅を撃ち破った。
そして比自㶱 ・南加羅 ・喙国 ・安羅 ・多羅 ・卓淳・加羅 の七国を平定した。兵を移して西を廻って
【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政四十九年三月条】古爰津 に至り、南蛮の忱弥多礼 を亡ぼして、百済に賜った。
その王肖古と王子貴須は、また軍を率いてやって来た。
時に比利 ・辟中 ・布弥支 ・半古 の四つの邑が自然に降服した。
百済王父子と荒田別・木羅斤資らは、共に意流村 で合流し、互いに喜んだ。
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(255年1月25日 ~ 256年2月12日)
肖古王が薨じる。
【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政五十五年条】
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(256年2月13日 ~ 257年1月)
立って王となる。
【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政五十六年条】
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(264年2月15日 ~ 265年2月2日)
薨じる。
【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政六十四年条】
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- 関連
- 十世祖:
都慕王 【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十四巻 右京諸蕃下 百済 菅野朝臣条】
- 十世祖: