巨勢男人

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名前
  • 氏(ウジ):巨勢【日本書紀】せ)
  • 姓(カバネ):臣(お
  • 氏(ウジ):許勢【日本書紀】せ)
  • 姓(カバネ):臣(お
  • 名:男人【日本書紀】(おひと, を
  • 許勢男人大臣【日本書紀】(こせのおひとのおおおみ, おほお
  • 許勢大臣男人【日本書紀】(こせのおおおみおひと, おほお
  • 巨勢男人大臣【日本書紀】(こせのおひとのおおおみ, おほお
  • 巨勢男人宿禰【紀氏家牒逸文】(こせのおひとのすくね, すくね)
性別
男性
生年月日
( ~ 武烈天皇8年12月21日)
没年月日
継体天皇23年9月
先祖
  1. 巨勢川上宿禰
    1. 巨勢川辺宿禰
      1. 建彦宿禰
      2. unknown
    2. unknown
  2. unknown
  • 巨勢胡人【母:不明】
  • 紗手媛さてひめ【日本書紀 巻第十八 安閑天皇元年三月戊子条】【母:不明】
  • 香香有媛かかりひめ【日本書紀 巻第十八 安閑天皇元年三月戊子条】【母:不明】
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 大臣おおおみ【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年正月甲子条】
出来事
  • 武烈天皇8年12月21日

    大伴金村大連が議って言うには「まさに今、後嗣は絶えてしまった。天下は何れに心を繋げようか。古より今に至るまで、禍はこれによって起る。いま足仲彦天皇仲哀天皇の五世孫の倭彦王丹波国(たにわのくに)桑田郡(くわたのこおり)にいらっしゃる。試しに武器を用意して御輿を挟み守ってお迎えして、人主(きみ)としてお立ち頂こう」と。
    大臣・大連らは、皆これに従い、計画どおりに迎えようとした。

    倭彦王は迎えの兵を遠くに見ると、懼然として色を失った。
    そして山谷に逃げて行方知れずとなった。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇即位前紀 武烈天皇八年十二月壬子条】
  • 継体天皇元年1月4日

    大伴金村大連が更に議って言うには「男大迹王後の継体天皇。は性格が慈悲深く、孝に順っていらっしゃる。皇位を継承するにふさわしい。慇懃にお勧めして帝業を栄えさせよう」と。
    物部麁鹿火大連・許勢男人大臣ら皆が言うには「子孫を詳しく選んでみると、賢者はただ男大迹王のみである」と。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年正月甲子条】
  • 継体天皇元年1月6日

    男大迹天皇を迎えるため、臣・連らに(しるし)を持たせ、御輿を備えて三国(みくに)に遣わす。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年正月丙寅条】
  • 継体天皇元年1月24日

    男大迹天皇樟葉宮(くすはのみや)に至る。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年正月甲申条】
  • 継体天皇元年2月4日

    大伴金村大連は跪いて天子の璽符(みしるし)の鏡・剣を献上して再拝した。
    男大迹天皇が辞退して言うには「民を子として国を治めるは重大な事である。私は不才で上に立つには不足である。願わくは思いを巡らせて賢者を選んでほしい。私では不適当である」と。
    大伴大連は地に伏して強く請願した。
    男大迹天皇は西に向って三度、南に向って二度譲った。
    大伴大連らが言うには「私たちが考えるには、大王が民を子として国を治めることが最適でございます。私たちは宗廟社稷の為に、計りごとを軽々しくは致しません。どうか皆の願いをお聞き入れください」と。
    男大迹天皇が言うには「大臣(おおおみ)大連(おおむらじ)将相(まえつきみ)・諸々の臣が私を推すのであれば、私も敢えて背くことはしない」と。
    そして璽符を受けた。


    この日、天皇に即位した。

    大伴金村大連大連、許勢男人大臣を大臣物部麁鹿火大連大連とすることは元の通りであり、これを以って大臣・大連らを各々職位のままに任じた。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇元年二月甲午条】
  • 継体天皇21年6月3日

    天皇大伴大連金村物部大連麁鹿火・許勢大臣男人らに詔して「筑紫磐井が背いて西戎の地を我が物としている。誰を将とするのが良いか」と。
    大伴大連らが言うには「正直で仁・勇に勝れ、兵事に通じること麁鹿火の右に出る者はおりません」と。
    天皇は「ゆるす」と言った。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十一年六月甲午条】
  • 継体天皇23年9月

    薨じる。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十三年九月条】