筑紫磐井

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名前
  • 氏(ウジ):筑紫【日本書紀】(つくし)
  • 氏(ウジ):竺紫【古事記】(つくし)
  • 姓(カバネ):君【古事記】
  • 名:磐井【日本書紀】(いわい, いはゐ)
  • 名:石井【古事記】(いわい, いはゐ)
  • 筑紫國造磐井【日本書紀】(つくしのくにのみやつこいわい, つくしくにやついはゐ)筑紫国造磐井
性別
男性
生年月日
( ~ 継体天皇21年6月3日)
没年月日
継体天皇22年11月11日
  • 筑紫葛子つくしのくずこ【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十二年十二月条】【母:不明】
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 筑紫国造つくしのくにのみやつこ【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十一年六月甲午条】
出来事
  • 継体天皇21年6月3日

    近江毛野臣が兵六万を率いて任那(みまな)に往き、新羅(しらき)に破られた南加羅(から)喙己呑(とくことん)を復興させて任那に合わせようとした。

    筑紫国造磐井は密かに叛逆を図るも実行せずに年を経た。
    事の成り難いことを恐れて常に隙を伺っていた。
    新羅はこれを知り、密かに賂を磐井の所に贈って毛野臣の軍を防がせた。

    磐井は火国(ひのくに)豊国(とよのくに)の二国に勢力を張って職務を行わなかった。
    外は海路を遮って高麗・百済・新羅・任那らの国の年貢を積んだ船を欺き、内は任那に遣わされた毛野臣の軍を遮り、みだりに言挙げして「今は使者となっているが、昔は我が友として肩肘擦り合わせて同じ釜の飯を食べた。にわかに使者となって私をお前に従わせる事ができようか」と。
    そして交戦して従わず、驕って自らを誇った。
    毛野臣は遮られて中途で停滞した。

    天皇大伴大連金村物部大連麁鹿火許勢大臣男人らに詔して「筑紫磐井が背いて西戎の地を我が物としている。誰を将とするのが良いか」と。
    大伴大連らが言うには「正直で仁・勇に勝れ、兵事に通じること麁鹿火の右に出る者はおりません」と。
    天皇は「ゆるす」と言った。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十一年六月甲午条】
  • 継体天皇21年8月1日

    天皇が詔して「大連よ。磐井が従おうとしない。お前が行って征伐せよ」と。
    物部麁鹿火大連が再拝して言うには「磐井は西戎の奸賊でございます。川の険しさをたよりにして仕え奉らず、山の険しさをたよりにして乱を起こしました。道徳に背き、侮り驕って自分を賢いと思っております。昔道臣より室屋に至るまで共に大伴氏の先祖だが、物部氏である麁鹿火の言葉としては不自然か。帝を助けて戦いました。民の難儀を救うことは、今も昔も変わりません。ただ天の助けを得ることは、私が常に重んじることでございます。よく慎んで討ちましょう」と。
    詔して「良将の軍は恩を施し、恵を推し、己を慮って人を治める。攻めること河を割くが如し、戦うこと風の発つが如し」と。
    重ねて詔して「大将は民の命を預かる。社稷の存亡はここにある。努めよ。慎んで天罰を与えよ」と。
    天皇は自ら斧鉞(まさかり)を取り、大連に授けて言うには「長門より東は朕が制する。筑紫より西はお前が制せよ。賞罰は思うままに行ってよい。一々奏上することはない」と。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十一年八月辛卯朔条】
  • 継体天皇22年11月11日

    大将軍物部大連麁鹿火は賊の首領磐井と筑紫の御井郡(みいのこおり)で交戦した。
    旗鼓は向き合い、埃塵入り乱れ、機を両陣の間に定めて万死の地を譲らなかった。

    遂に磐井を斬って境を定めた。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十二年十一月甲子条】