春日山田皇女

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名前
  • 春日山田皇女【日本書紀】(かすがやまだ
  • 山田大娘皇女【日本書紀】(やまだのおおいらつめのひめみこ, やまだおほいらつ
  • 赤見皇女【日本書紀】(あか
  • 春日皇女【日本書紀】(かすが
  • 春日山田郞女【古事記】(かすがやまだいらつ)春日山田郎女
  • 春日小田郞女校異【古事記】(かすがのおだのいらつめ, かすがをだいらつ)春日小田郎女
  • 山田赤見皇女【日本書紀】(やまだあか
  • 春日皇后【日本書紀】(かすがきさき)
  • 山田皇后【日本書紀】(やまだきさき)
性別
女性
生年月日
( ~ 継体天皇7年9月30日)
没年月日
(宣化天皇4年10月1日 ~ )
  • 仁賢天皇にんけんてんのう【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条】
  • 糠君娘あらきみのいらつめ【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条】
先祖
  1. 仁賢天皇
    1. 市辺押磐皇子
      1. 履中天皇
      2. 黒媛
    2. 荑媛
      1. 蟻臣
  2. 糠君娘
    1. 和珥日爪
配偶者
  • 安閑天皇あんかんてんのう【日本書紀 巻第十七 継体天皇七年九月条】
出来事
  • 仁賢天皇の皇女として生まれる。母は糠君娘

    【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条】
  • 継体天皇7年9月

    勾大兄皇子後の安閑天皇。は自ら春日皇女を迎えた。
    月夜に清らかに語り合い、思わず夜が明けた。
    歌を作る雅な心がすぐに形となり、口ずさんで言うには

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    と。
    妃が答えて歌った。

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    【日本書紀 巻第十七 継体天皇七年九月条】
  • 継体天皇8年1月

    太子妃春日皇女は朝遅く出てきて異常なところがあった。
    太子は疑う心があって殿に入って覗いてみた。妃は床に伏して泣いていた。
    悶え苦しんで耐えられない様子だった。
    太子は怪しんで「今朝泣いていたが、何の恨みがあるのか」と問うた。
    妃が言うには「他ではございません。私が悲しむのは、飛ぶ鳥も子を育てるために木の末に巣を作ります。その愛情が深いからでございます。地を這う虫も子を守るために土の中に穴を掘ります。その守りを厚くします。ましてや人に至れば、どうして考えないで居られましょうか。後継ぎが無い恨みは太子に集まります。私の名も従って絶えてしまうでしょう」と。
    太子は心を痛めて天皇に奏上した。

    継体天皇が詔して「朕の子麻呂古一種の愛称であり、皇子を『まろこ』という例は他にもある。。お前の妃の言葉は深く理に適っている。そんなことはどうでもいいと答えて、慰めることが無くてよいのか。匝布屯倉(さほのみやけ)を賜わり、妃の名を万世に表しなさい」と。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇八年正月条】
  • 安閑天皇元年3月6日

    安閑天皇の皇后となる。

    【日本書紀 巻第十八 安閑天皇元年三月戊子条】
  • 安閑天皇元年4月1日

    内膳卿(かしわでのつかさのきみ)膳臣大麻呂が勅を受け、使いを遣わして真珠を伊甚(いじみ)に求めた。
    伊甚国造らは(みやこ)に参上することが遅く、いつまでも献上しなかった。
    膳臣大麻呂は激怒し、国造らを捕縛して理由を問うた。
    国造稚子直らは恐懼して後宮の寝殿に逃げ隠れた。
    春日皇后は見知らぬ者が入ってきて、息をはずませて倒れてしまった。深く恥じること已む無しであった。
    稚子直らがみだりに後宮に入った罪は重かった。
    謹しんで専らに皇后の為に伊甚屯倉(いじみのみやけ)を献上して、乱入の罪を贖うことを請うた。
    それで伊甚屯倉を定めた。

    【日本書紀 巻第十八 安閑天皇元年四月癸丑朔条】
  • 安閑天皇元年閏12月

    廬城部枳莒喩の娘の幡媛瓔珞(くびたま)珠の首飾りを春日皇后に献上したが、物部尾輿から盗み取ったものだということが発覚する。

    【日本書紀 巻第十八 安閑天皇元年閏十二月是月条】
  • 安閑天皇2年12月17日安閑記では乙卯年三月十三日。

    安閑天皇が崩じる。

    【日本書紀 巻第十八 安閑天皇二年十二月己丑条】
  • 安閑天皇2年12月

    安閑天皇河内旧市高屋丘陵(かわちのふるちのたかやのおかのみささぎ)に葬られる。

    皇后春日山田皇女及び天皇の妹の神前皇女も、この陵に合葬した。

    【日本書紀 巻第十八 安閑天皇二年十二月是月条】
  • 宣化天皇4年10月

    欽明天皇即位直前。が群臣に命じて「余は年若く浅識である。未だに政事にも疎い。山田皇后は政事に明るく慣れておられるから決裁をお願いするように」と。

    山田皇后が畏怖して言うには「私は山や海も及ばぬほどに恩寵を蒙っております。政事の難しさは婦女には預かれません。いま皇子は老人を敬い、年少者を慈しみ、賢者には礼し、日の高く上るまで食事を摂らずに士をお待ちになります。また若くして抜きん出て、名声をほしいままにし、人となりは心広く和やかで、憐れみ深くいらっしゃいます。諸臣たちよ。早く位に登って天下を光り輝かせて頂くようにお願いしなさい」と。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇即位前紀 宣化天皇四年十月条】
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