己富利知伽
- 名前
- 己富利知伽『未詳』とある。『己富利』は『群(こほり)』か。『知伽』は神宮皇后摂政紀に見える『宇流助富利智干』の『智干』と同義か。【日本書紀】(こほりちか)
- 生年月日
- ( ~ 529年4月23日)
- 没年月日
- (529年3月25日 ~ )
- 出来事
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529年(3月25日 ~ 4月23日)
加羅王は新羅王の女を娶って子が生まれた。
新羅がはじめ女を送るときに百人を遣わして女の従者とした。これを諸県に分散させて受け入れて新羅の衣冠を着けさせた。
阿利斯等はその服を変えさせたことに憤り、使いを遣わして送り返した。
新羅は面目を失い、女を戻そうとして言うには「そちらの話を受けて私は結婚を許したのだ。このようになるなら王女を返してもらおう」と。
加羅の己富利知伽『未詳』とある。は答えて「夫婦として合わせて今更どうやって離れることが出来ようか。また子もあり、これを棄ててどこに行けるものか」と。遂に新羅は
【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十三年三月是月条 第一】刀伽 ・古跛 ・布那牟羅 の三城を取り、また北の境の五城を取った。
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