大伴糠手子

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名前
  • 氏(ウジ):大伴【日本書紀】(おおとも, おほも)
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:糠手子【日本書紀】(ぬかて, あらて
  • 名:糠手【日本書紀】(ぬかて, あらて)
  • 名:奴加之古【聖徳太子平氏伝雑勘文】(ぬかし
生年月日
( ~ 敏達天皇12年12月30日)
没年月日
(敏達天皇12年12月1日 ~ )
  • 小手子こてこ【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇元年三月条】【母:不明】
出来事
  • 敏達天皇12年(10月 ~ 12月)

    敏達天皇の命令で、来日した日羅を慰労する。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇十二年是歳条】
  • 敏達天皇12年(10月 ~ 12月)

    敏達天皇の命令で阿倍目臣物部贄子連と共に国政を日羅に問う。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇十二年是歳条】
  • 敏達天皇12年12月

    十二月の晦素直に十二月の末日と判断してよいか。日羅徳爾らによって殺害される。

    日羅は蘇生した。そして「これは我が召使いの奴等の所業である。新羅によるものではない」と言って死んだ「この時に新羅の使いがいた。それでこのように言ったのである」とある。

    天皇は贄子大連糠手子連に詔して、小郡(おごおり)の西の畔の丘の先に収め葬らせ、その妻子・水手らは石川(いしかわ)に住まわせた。
    しかし大伴糠手子連が議って「一ヶ所に集めて住まわせれば返事が生じる恐れがございます」と言った。
    そこで妻子は石川の百済村(くだらのむら)に住まわせ、水手らは石川の大伴村(おおとものむら)に住まわせた。

    徳爾らを捕縛して下百済(しもつくだら)阿田村(あたのむら)に置いた。
    数人の大夫を遣わして、その事を問いただした。
    徳爾らが罪に伏して言うには「本当でございます。これは恩率・参官の教えによるものです。我らは部下として命令に背けませんでした」と。
    これにより獄に下して朝廷に復命した。
    そして葦北(あしきた)に使いを遣わして日羅の同族を召し、徳爾らを賜って心のままに罪を償わせた。
    この時に葦北君(あしきたのきみ)らは受け取ると皆殺しにして弥売島(みめしま)「弥売島とは姫島であろう」とある。に投げ捨てた。

    日羅を葦北に移して葬った。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇十二年是歳条】
  • 崇峻天皇元年3月

    娘の小手子崇峻天皇の妃となる。

    【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇元年三月条】