吉備海部羽島

  • twitterでツイートする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
名前
  • 氏(ウジ):吉備海部【日本書紀】あま)吉備海部
  • 姓(カバネ):直【日本書紀】(あたい, あた
  • 名:羽嶋【日本書紀】(はしま)羽島
生年月日
( ~ 敏達天皇12年7月1日)
没年月日
(敏達天皇12年10月1日 ~ )
出来事
  • 敏達天皇12年7月1日

    紀国造押勝と共に敏達天皇の命を受け、百済にいる達率日羅招喚の使者となる。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇十二年七月丁酉朔条】
  • 敏達天皇12年10月

    百済から帰還して「百済国主は日羅を惜しんで来させませんでした」と復命する。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇十二年十月条】
  • 敏達天皇12年(10月 ~ 12月)

    また敏達天皇の命令で日羅招喚の使者となる。

    羽島は百済に行って、先に密かに日羅に会おうと一人で家の門に向った。
    しばらくして家の中から(から)婦人が現れ、韓語を用いて「あなたの根を私の根の内に入れなさい」と言うと家に入った。
    羽島はその意味を覚り、後に従い入っていった。
    すると日羅が迎えに来て、手を取って座席に坐らせると、密かに告げて「私が密かに聞くところでは、百済国主は天朝を疑っているようです。私を遣わしてしまえば留めて帰還さないと思い、惜しんで了承しないのです。勅を宣り言する時には、厳しい顔色を見せて性急に召して下さい」と言った。
    羽島はその計画のままに日羅を召した。
    百済国主は天朝を畏怖して、敢えて勅を違えることはせず、日羅恩率(おんそつ)おんそち。百済の官位第三位。徳爾・余怒・哥奴知どこで区切るかは疑義あり。文脈からは恩率と参官と徳爾・余奴は別人。参官(さんかん)柁師(かじとり)徳率次干徳水手(かこ)ら若干の人を奉った。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇十二年是歳条】