鞍部司馬達等

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名前
  • 氏(ウジ):鞍部【日本書紀】(くらつくり)
  • 姓(カバネ):村主【日本書紀】(すぐり)
  • 名:司馬逹等【日本書紀】(しばだっと, しめだちと)司馬達等
  • 司馬逹等【日本書紀】(しばだっと, しめだちと)司馬達等
  • 逹等【日本書紀】(だっと, だちと)達等
生年月日
( ~ 敏達天皇13年12月29日)
没年月日
(敏達天皇13年9月1日 ~ )
  • しま善信尼ぜんしんに【日本書紀 巻第二十 敏達天皇十三年是歳条】【母:不明】
  • 鞍部多須奈くらつくりのたすな【日本書紀 巻第二十一 用明天皇二年四月丙子条】【母:不明】
出来事
  • 敏達天皇13年(9月 ~ 12月)

    蘇我馬子宿禰の命令で、池辺直氷田と共に修行僧を探す。
    播磨国にて僧で還俗した者を得た。名は高麗恵便馬子宿禰は師とした。

    司馬達等の女のを出家させて善信尼という。年十一歳。
    また善信尼の弟子二人も出家させた。
    その一は漢人夜菩の女の豊女。名を禅蔵尼という。
    その二は錦織壼の女の石女。名を恵善尼という。
    馬子は一人仏法に帰依して三人の尼を崇め敬った。
    そして三人の尼を氷田直と達等に付けて衣食を供させた。
    仏殿を邸宅の東方に造って弥勒の石像を安置した。
    三人の尼を招いて大会(だいえ)設斎(おがみ)仏教用語。食事の場を設けること。をした。
    この時に達等が仏舎利を斎食(いもい)の上で見つけ、その舎利を馬子宿禰に献上した。
    馬子宿禰は試しに舎利を鉄床(かなとこ)の上に置いて鉄鎚で打ってみた。
    その鉄床と鉄鎚は砕けたが、舎利が砕けることはなかった。
    また舎利を水に投げ入れてみると、舎利は心に願うままに浮き沈みした。
    これにより馬子宿禰池辺氷田・司馬達等は仏法を深く信じて修行を怠らなかった。
    馬子宿禰はまた石川の邸宅に仏殿を造った。

    仏法の初めはこれより興った。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇十三年是歳条】