印支弥

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名前
  • 印支彌【日本書紀】(いきみ)印支弥
  • 印岐彌【日本書紀】(いきみ)印岐弥
生年月日
( ~ 544年12月29日)
没年月日
(544年11月30日 ~ )
出来事
  • 印支弥と阿鹵(あろ)の旱岐がいた時に、新羅の為に圧迫されて耕作出来なかった。
    百済は遠く離れているので急を救うことが出来なかった。

    印支弥の後に来た許勢臣の時「百済本記に云うには、我が印支弥を留めた後に既酒臣が至る時という。未だ詳らかではない」とある。には新羅が境界を侵略することは無くなった。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇五年三月条】
  • 544年(11月30日 ~ 12月29日)

    聖明王が言うには「任那の国と我が百済は古来より子弟のような間柄である。日本府の印岐弥「任那にいる日本の臣の名である」とある。は既に新羅を討ち、さらに私を討とうとしている。また好んで新羅の虚言を聞いている。印岐弥を任那に遣わしたのは、その国を侵害するためではない「未詳」とある。」と。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇五年十一月条】
関連
  • 後任:許勢臣こせのおみ既酒臣こせのおみ【日本書紀 巻第十九 欽明天皇五年三月条】