昆支

  • twitterでツイートする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
名前
  • 昆支【日本書紀】(こんし, こにき)
  • 軍君【日本書紀】(こにきし)
  • 昆攴君【日本書紀】(こにきし)
  • 昆支君【日本書紀】(こにきし)
  • 琨支君校異【日本書紀】(こにきし)
  • 昆支王【日本書紀】(こんきおう, こんきわう)
  • 昆攴王校異【日本書紀】
  • 琨支王子【日本書紀】(こんきせしむ)
  • 琨支【日本書紀】(こんき)
  • 琨支王【日本書紀】(こんきおう, こんきわう)
  • 琨伎王【新撰姓氏録抄】(こんきおう, こんきわう)
  • 混伎王【新撰姓氏録抄】(こんきおう, こんきわう)
キーワード
  • 後裔は河内国飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
  • 蓋鹵王がいろおう
    • 毘有王ひゆうおう蓋鹵王の弟という記述から推測。【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年四月条】
先祖
  1. 蓋鹵王
    1. 毘有王
      1. 久爾辛王
      2. unknown
    2. unknown
  2. unknown
  • 武寧王ぶねいおう【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年六月丙戌朔条】【母:不明】
  • 東城王とうじょうおう末多王またおう【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十三年四月条】【母:不明】
出来事
  • ・・・
    • 461年(4月26日 ~ 5月24日)

      百済の加須利君蓋鹵王)は人づてに池津媛適稽女郎(ちゃくけいえはしと))が焼き殺されたことを聞き、議って言うには「昔、女を献上して采女とした。しかし無礼にも我が国の名を貶めた。今後は女を献上してはならない」と。
      そしてその弟の軍君(昆支君)に「お前は日本に行って天皇に仕えよ」と告げた。
      軍君は「君上の命を違えることは出来ません。願わくは君の(みめ)を賜り、その後にお遣わし下さい」と答えた。
      加須利君は孕んだ婦を軍君に嫁がせて言うには「我が孕める婦は臨月に当たる。もし途中で出産したら、一つの船に乗せて、どこからでも速やかに国に送り返してくれ」と。
      そして共に別れの言葉を述べて(みかど)に遣わした。

      【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年四月条】
  • ・・・
    • 461年6月24日

      孕んでいた婦は加須利君の言ったように筑紫の各羅島(かからのしま)で子を産んだ。
      それでこの子の名を島君という。
      そこで軍君は一つの船で島君を国に送った。これが武寧王である。
      百済人はこの島を主島(にりむせま)という。

      【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年六月丙戌朔条】
  • ・・・
    • 461年(7月23日 ~ 8月21日)

      軍君が(みやこ)に入った。既に五人の子があった。

      【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年七月条】
    • 辛丑年およそ西暦401,461,521,581年が辛丑年。校異:辛巳年(およそ西暦441,501,561が辛巳年)蓋鹵王が弟の昆支君を遣わした。
      大倭に参上して天王に仕えた。
      そして兄王の好を修めた。

      【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年七月条 百済新撰云】
  • ・・・
    • 百済の文斤王が薨じた。
      雄略天皇は昆支王の五子の中で第二の末多王が幼くして聡明なので勅して内裹に招いた。
      自ら頭を撫でて懇ろに戒めてその国の王とした。
      そして兵器を賜り、あわせて筑紫国の兵士五百人を遣わして国に守り送らせた。
      これを東城王という。

      【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十三年四月条】