平群鮪

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名前
  • 氏(ウジ):平群(ぐり)
  • 姓(カバネ):臣【日本書紀】(お
  • 名:鮪【日本書紀】鮪。此云茲寐。
  • 鮪臣【日本書紀】(し
  • 志毘臣【古事記】(し
キーワード
  • 平群臣(へぐりのおみ)之祖【古事記 下巻 清寧天皇段】
性別
男性
没年月日
仁賢天皇11年8月
  • 平群真鳥へぐりのまとり【日本書紀 巻第十六 武烈天皇即位前紀 仁賢天皇十一年八月条】
先祖
  1. 平群真鳥
出来事
  • 仁賢天皇11年8月

    太子小泊瀬稚鷦鷯尊後の武烈天皇。物部麁鹿火大連の娘の影媛を召し上げたいと思い、媒人に命じて影媛の家に向わせて会うことを約束した。
    影媛は既に真鳥大臣の子の鮪と通じていたので、太子との約束を違えてしまうことを恐れ、答えて言うには「私は海柘榴市(つばきち)の巷でお待ち奉りたいと存じます」と。

    こうして太子は約束の場所に行こうとして近侍の舎人を遣わし、平群大臣の家に向わせて太子の命で官馬(つかさうま)を用意するように求めた。
    大臣はふざけて表向きには「官馬は誰の為に飼うものではございません。御命令に従います」と言ったが、久しく進上しなかった。
    太子は心中恨んだが、忍んで顔には出さなかった。

    果たして約束の場所に行って歌場(うたがき)歌場。此云宇多我岐。の人の中に立った。影媛の袖を取って立ち止まったり歩いたりして誘った。
    しばらくして鮪臣が来て、太子と影媛の間を押しのけて立った。
    太子は影媛の袖を放し、向きを変えて前に立つと鮪の方を向いて歌を詠んだ。

    ()()()() 一本。以之裒世。易弥儺斗。 ()()()()()()() ()()()()() ()()()()()()() ()()()()()()()

    鮪が歌で答えた。

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    太子が歌を詠んだ。

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    鮪臣が歌で答えた。

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    太子が歌を詠んだ。

    ()()()()() ()()()()()()() 一本。以耶賦能之魔柯枳。易耶陛哿羅哿枳。 ()()()()() ()()()()()()() ()()()()()()()

    太子が影媛に歌を贈った。

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    鮪臣が影媛の為に歌で答えた。

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    太子は鮪が既に影媛と通じていることを知った。
    父子の不敬の有様を知って顔を赤くして激怒した。
    この夜、速やかに大伴金村連の家に向い、兵を集めて策を練った。
    大伴連は数千の兵を率いて道を遮り、鮪臣を乃楽山(ならやま)で殺した。
    ある書では鮪は影媛の家に泊り、その夜に殺されたという。

    この時に影媛は殺された場所に追って行って、その殺されるところを見た。
    驚き恐れて心を失い、悲涙が目に溢れた。そして遂に歌を作った。

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    こうして影媛は埋葬も終って家に帰ろうとするときに、むせび泣きして「苦しいことだなあ。今日我が愛しい夫を失ったことは」と言うと、悲しみに打ちひしがれた。
    ふさぎ込んで歌を詠んだ。

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    【日本書紀 巻第十六 武烈天皇即位前紀 仁賢天皇十一年八月条】
    • 袁祁命後の顕宗天皇が天下を治めようとする頃に、志毘臣が歌垣に立ち、その袁祁命が求婚しようとした美人の手を取った。
      その少女は菟田首の女で名は大魚という。
      袁祁命もまた歌垣に立った。
      ここで志毘臣が歌を詠んだ。

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      このように歌い、その歌の末の句を求めた時に袁祁命が歌を詠んだ。

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      志毘臣がまた歌を詠んだ。

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      王子がまた歌を詠んだ。

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      志毘臣はいよいよ怒って歌を詠んだ。

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      王子がまた歌を詠んだ。

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      このように歌って闘い、夜が明けてそれぞれ退いた。

      翌朝、意富祁命袁祁命の二柱が相談して「およそ朝廷に仕える人々は、朝は朝廷に参内し、昼は志毘臣の家の門に集まる。また今は志毘臣はきっと寝ていてる。またその門には人もいない。だから今でなければ、(はかりごと)を実行するのは難しいだろう」と。
      そこで軍を興して志毘臣の家を囲んで殺した。

      【古事記 下巻 清寧天皇段】