佐伯男

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名前
  • 氏(ウジ):佐伯【日本書紀】(さえき, さへき)
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:男【日本書紀】(お, を)
生年月日
( ~ 天武天皇元年6月26日)
没年月日
(天武天皇元年6月26日 ~ )
出来事
  • 天武天皇元年6月26日

    大海人皇子の挙兵を知った大友皇子が佐伯連男を筑紫に遣わした。

    男と樟磐手樟磐手はこの時吉備国派遣が決まっている。に言うには「筑紫大宰栗隈王吉備国守(きびのくにのかみ)当摩公広島の二人は元より大皇弟に従うことがあった。反逆の疑いがあろう。もし不服そうな顔をすればすぐに殺せ」と。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】
  • (天武天皇元年6月26日 ~ )

    男が筑紫に至り、栗隈王(おしてのふみ)を受ける時に答えて言うには「筑紫国は元より外賊から国境を守っています。城を高く、溝を深くして海に向って守備するのは内賊の為にではありません。命を受けて軍を興せば国防が空となります。もしも思いがけない変事があれば社稷が傾きます。然る後に百度臣を殺しても何の益もありません。どうして敢えて徳に背くことがありましょうか。容易く兵を動かせないのはこのような理由です」と。
    この時に栗隈王の二子である三野王武家王は剣を佩いて側に立ち、退くことは無かった。
    男は剣を堅く握って進もうとしたが、かえって殺されることを恐れた。それで事を成せずに空しく帰還した。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】