春日大娘皇女

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名前
  • 春日大娘皇女【日本書紀】(かすがのおおいらつめのひめみこ, かすがおほいらつ
  • 高橋皇女【日本書紀】(たかはし
  • 春日大娘皇后【日本書紀】(かすがのおおいらつめのきさき, かすがおほいらつきさき)
  • 春日大郞女【古事記】(かすがのおおいらつめ, かすがおほいらつ)春日大郎女
  • 春日太娘【先代旧事本紀】(かすがのおおいらつめ, かすがおほいらつ
性別
女性
生年月日
( ~ 仁賢天皇元年1月5日)
没年月日
(仁賢天皇元年2月2日 ~ )
  • 雄略天皇ゆうりゃくてんのう【日本書紀 巻第十四 雄略天皇元年三月是月条】
  • 童女君おみなきみ【日本書紀 巻第十四 雄略天皇元年三月是月条】
先祖
  1. 雄略天皇
    1. 允恭天皇
      1. 仁徳天皇
      2. 磐之媛命
    2. 忍坂大中姫命
      1. 稚野毛二派皇子
      2. 百師木伊呂弁
  2. 童女君
    1. 和珥深目
配偶者
  • 仁賢天皇にんけんてんのう【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条】
  • 高橋大娘皇女たかはしのおおいらつめのひめみこ高木郎女たかぎのいらつめ【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条, 古事記 下巻 仁賢天皇段】【父:仁賢天皇にんけんてんのう
  • 朝嬬皇女あさつまのひめみこ財郎女たからのいらつめ【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条, 古事記 下巻 仁賢天皇段】【父:仁賢天皇にんけんてんのう
  • 手白香皇女たしらかのひめみこ手白髪郎女たしらかのいらつめ【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条, 古事記 下巻 仁賢天皇段】【父:仁賢天皇にんけんてんのう
  • 樟氷皇女くすひのひめみこ久須毘郎女くすびのいらつめ【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条, 古事記 下巻 仁賢天皇段】【父:仁賢天皇にんけんてんのう
  • 橘皇女たちばなのひめみこ仁賢記には見えず。宜化記に橘之中比売命の名で見えるが、母は不明。【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条】【父:仁賢天皇にんけんてんのう
  • 武烈天皇ぶれつてんのう武烈天皇ぶれつてんのう【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条, 古事記 下巻 仁賢天皇段】【父:仁賢天皇にんけんてんのう
  • 真稚皇女まわかのひめみこ真若王まわかのみこ【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条, 古事記 下巻 仁賢天皇段】【父:仁賢天皇にんけんてんのう
出来事
  • 雄略天皇の皇女として生まれる。母は童女君

    童女君はもとは采女だった。天皇と一夜をともにして孕んで女子を生んだ。
    天皇は疑って養育しなかった。女の子は歩くようになった。
    天皇は大殿にいて物部目大連が侍していた。
    女の子が庭を渡った。
    目大連が群臣を顧みて言うには「麗しい女の子だなぁ。古の人の言葉があって『なひとやはばに原文『娜毗騰耶皤麼珥』この古語は未詳とある。「お前は母似か」の意か。校異:娜毗騰耶皤磨珥(なひとやはまに)』という。清き庭をしめやかに歩くのは誰の(むすめ)だろうか」と。
    天皇が「なぜ尋ねるのだ」と言うと、目大連は「私が女の子が歩くのを見ると、その姿はよく天皇に似ておりますので」と答えた。
    天皇が言うには「この子を見た者は皆がお前と同じように言う。しかし朕と一夜を過ごしただけで身ごもった。一晩で子を産むのは異常なので、これを疑っているのだ」と。
    大連は「一晩に何度お呼びになられましたか」と言った。天皇は「七度呼んだ」と言った。
    大連が言うには「少女は清き心身で一夜を共に致しました。安易に疑って清潔を嫌ってはなりません。私が聞くところによりますと、孕み易い者は褌が体に触れただけで孕むといいます。一晩中共にされたにもかかわらず、みだりに疑いをおかけあそばされますとは」と。
    天皇は大連に命じて女の子を皇女とし、母を妃とした。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇元年三月是月条】
  • 億計王の妃となる。

    【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条】
  • 仁賢天皇元年1月5日

    億計王天皇となる。

    【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年正月乙酉条】
  • 仁賢天皇元年2月2日

    皇后となる。

    【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇元年二月壬子条】