蘇定方

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生年月日
( ~ 660年9月9日)
没年月日
(661年8月1日 ~ )
出来事
  • 660年(8月12日 ~ 9月9日)

    春秋智は大将軍蘇定方の手を借りて百済を挟み撃ちにして亡ぼした。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年七月乙卯条 日本世記曰】
    • 660年8月21日

      大唐の蘇定方が船軍を率いて尾資(びし)の津に陣取った。
      新羅王春秋智は兵馬を率いて怒受利(のずり)の山に陣取った。
      百済を挟撃して戦うこと三日、王城は陥落した。

      【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年九月癸卯条 或本云】
    • 660年8月24日

      百済王義慈、その妻の恩古、その子のら、その臣佐平千福国弁成孫登ら五十余人は、秋七月十三日に蘇将軍に捉えられて唐国に送られた。
      故無く武器を持ち歩いたのはこの兆しだったか同年五月是月条に見える。

      【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年十月条】
  • 660年(9月10日 ~ 10月9日)

    百済が滅ぶ。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年七月乙卯条 伊吉連博徳書云】
  • 660年12月8日

    将軍蘇定方らに捉えられた百済王以下、太子ら諸王子十三人、大佐平沙宅千福国弁成以下三十七人、合せて五十人ばかりを朝堂に奉る為、にわかに引き連れて天子の所に赴いた。天子の恩勅により目の前で釈放された。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年七月乙卯条 伊吉連博徳書云】
  • 661年(1日 ~ 30日)

    蘇将軍と突厥王子契苾加力らが水陸二路から高麗の城下に至った。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇即位前紀 斉明天皇七年七月是月条】