市川臣 名前 市川臣【新撰姓氏録抄】(いちかわのおみ, いちかはのおみ) 市河【日本書紀】(いちかわ, いちかは) キーワード物部首(もののべのおびと)之始祖【日本書紀 巻第六 垂仁天皇三十九年十月条 一云】 性別男性 生年月日( ~ 仁徳天皇87年1月16日) 没年月日(仁徳天皇元年1月3日 ~ ) 父木事命(こごとのみこと)【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】 先祖 木事命 米餅搗大使主命 unknown 出来事・・・ 五十瓊敷皇子は茅渟(ちぬ)の菟砥(うと)の川上にて、鍛冶の名は河上を召して大刀千振を作らせた。 この時に楯部(たてぬいべ)・倭文部(しとりべ)・神弓削部(かんゆげべ)・神矢作部(かんやはぎべ)・大穴磯部(おおあなしべ)・泊橿部(はつかしべ)・玉作部(たますりべ)・神刑部(かんおさかべ)・日置部(ひおきべ)・大刀佩部(たちはきべ)、合わせて十の品部(とものみやつこ)を五十瓊敷皇子に賜った。 その千振の大刀は忍坂邑(おしさかのむら)に蔵めた。後に忍坂から移して石上神宮に蔵めた。 この時に神が「春日臣(かすがのおみ)の一族、名は市河に治めさせよ」と言った。それで市河に命じて治めさせた。 【日本書紀 巻第六 垂仁天皇三十九年十月条 一云】 (仁徳天皇元年1月3日 ~ 仁徳天皇87年1月16日) 大鷦鷯天皇の御世、倭(やまと)に行幸して布都努斯神社(ふつぬしのかみのやしろ)を石上(いそのかみ)の御布瑠村(みふるのむら)校異:石上郷の布瑠村の高庭の地に祀って市川臣を神主とした。 【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】 関連四世孫:額田臣(ぬかたのおみ)【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】四世孫:武蔵臣(むざしのおみ)【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】