根使主
- 名前
- 根使主【日本書紀】(ねのおみ)
- 根臣【古事記】(ねのおみ)
- キーワード
- 坂本臣祖【日本書紀 巻第十三 安康天皇元年二月戊辰朔条】
- 坂本臣等之祖【古事記 下巻 安康天皇段】
- 生年月日
- ( ~ 安康天皇元年2月1日)
- 没年月日
- 雄略天皇14年4月1日
- 子
小根使主 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十四年四月甲午朔条】【母:不明】
- 出来事
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安康天皇元年2月1日
安康天皇は大泊瀬皇子後の雄略天皇。のために、大草香皇子の妹の幡梭皇女を妻合わせたいと思った。
【日本書紀 巻第十三 安康天皇元年二月戊辰朔条】
そこで根使主を遣わして大草香皇子に言うには「幡梭皇女を頂いて、大泊瀬皇子に妻合わせたいと思う」と。
大草香皇子が答えて言うには、「私はこの頃重い病を患って治りません。たとえば物を積んだ船が満ち潮を待つようなものでございます。しかし死ぬのは天命でございます。どうして惜しむに足りましょうか。ただ妹の幡梭皇女が孤児になるので、容易く死ねないのでございます。いま陛下がその醜さをお嫌いになられず、宮廷の女性の仲間にお入れ頂きました。これは甚だ大きな恩恵でございます。どうしてかたじけないお言葉を辞することが出来ましょうか。それで真心を表すために、私の宝の押木珠縵 (あるいは立縵 という。また磐木縵 ともいう)を捧げて、お使いの根使主に預けて奉ります。どうか賤しく軽々しいといえども、お納め頂き、契りの印として頂きたく存じます」と。
根使主は押木珠縵を見て、その美しさに感動した。そこで偽って宝を自分の物にしようとした。
そして偽って天皇に奏上して「大草香皇子は命を承らず、私めに『同族といえども、どうして我が妹を差し出すことが出来ようか』と言いました」と言うと、縵を己の物にして献上しなかった。
天皇は根使主の讒言を信じて激怒し、兵を起こして大草香皇子の家を囲んで殺した。-
天皇は同母弟の大長谷王子後の雄略天皇。のために、根臣を大日下王のもとに遣わして「あなた様の妹の若日下王と大長谷王子を結婚させたいと思うので奉りなさい」と詔した。
【古事記 下巻 安康天皇段】
大日下王が四度拝んで言うには「もしやこのような大命もあるのではないかと存じておりました。それで外出させずに置いておりました。これは恐れ多いことです。大命に従って奉ります」と。
しかし言葉だけでは無礼であると思い、その妹の礼物として押木 の玉縵 を持たせて献上した。
根臣はその礼物である玉縵を盗み取り、大日下王のことを讒言して「大日下王は勅命を受けずに、『私の妹は同族の下敷きにはならない』とおっしゃって、大刀の柄を握ってお怒りになりました」と。
それで天皇は激怒して大日下王を殺した。
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雄略天皇14年4月1日
雄略天皇は呉人を歓待しようと思って群臣に「食事を共にするのは誰がよいだろうか」と尋ねた。
群臣は口を揃えて「根使主がよいでしょう」と答えた。
天皇は根使主に命じて共食者 とした。
そして石上 の高抜原 で呉人と饗宴した。
この時に密かに舎人を遣わして装飾を観察させた。
舎人は復命して「根使主がつける玉縵 玉を連ねた髪飾り。は際立って美しく、また皆が言うには『前に使いを迎えた時にもつけていた』とのことでございます」と言った。
そこで天皇は自分でも見たいと思い、臣連に命じて装飾を饗宴の時と同じにさせて引見した。
皇后は天を仰いで嘆き、涙を流して哀しんだ。
天皇が「なぜ泣いているのだ」と問うと、皇后が座から降りて「この玉縵は昔、私の兄の大草香皇子が穴穂天皇安康天皇の勅を承り、私を陛下に奉るときに私に贈ってくれた物でございます。それで根使主を疑って不覚にも涙を流してしまいました」と答えた。
天皇はこれを聞いて驚き激怒した。
それで根使主を深く責めると根使主は「恐れ多いことでございます。仰せの通り私の過ちでございます」と答えた。
天皇は「根使主は今後、子々孫々まで永久に群臣に連ねてはならない」と詔した。
そしてまさに斬ろうとした時、根使主は日根 に逃げ隠れて、稲城を造って戦ったが官軍に殺された。
天皇は司に命じて子孫を二分した。
一つを大草香部 の民として皇后に任せた。
一つを茅渟県主 に賜って袋かつぎの者とした。事を平らげた後、根使主の子の小根使主は夜に寝ながら人に「天皇の城は堅固ではないが、我が父の城は堅固だ」と語った。
天皇はこの話を伝え聞くと、使人を遣わして根使主の家を観察させた。本当の話だった。
それで捕えて殺した。根使主の後裔が
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十四年四月甲午朔条】坂本臣 となるのはこれより始まる。
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