舎人皇女 名前 舍人皇女【日本書紀】(とねりのひめみこ)舎人皇女 舍人姬王【日本書紀】(とねりのひめのおおきみ, とねりのひめのおほきみ)舎人姫王 泥杼王【古事記】(ねどのみこ) 倉人皇女【先代旧事本紀】(くらひとのひめみこ) 性別女性 生年月日( ~ 推古天皇11年4月1日) 没年月日(推古天皇11年7月6日 ~ ) 父欽明天皇(きんめいてんのう)【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二年三月条】 母堅塩媛(きたしひめ)【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二年三月条】 先祖 欽明天皇 継体天皇 彦主人王 振媛 手白香皇女 仁賢天皇 春日大娘皇女 堅塩媛 蘇我稲目 蘇我馬背 unknown 配偶者当麻皇子(たぎまのみこ)【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年七月丙午条】 出来事 欽明天皇の皇女として生まれる。母は堅塩媛。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二年三月条】 推古天皇11年4月1日 当麻皇子が征新羅将軍となる。 【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年四月壬申朔条】 推古天皇11年7月3日 当麻皇子に従い難波から船で出発する。 【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年七月癸卯条】 推古天皇11年7月6日 播磨に到着する。 【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年七月丙午条】 (推古天皇11年7月6日 ~ ) 赤石で薨じ、赤石桧笠岡上(あかしのひかさのおかのえ)に葬られる。 これにより当麻皇子は引き返して遂に征討することはなかった。 【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十一年七月丙午条】