吉備尾代
- 名前
- 氏(ウジ):吉備【日本書紀】(きび)
- 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ)
- 名:尾代【日本書紀】(おしろ, をしろ)
- 生年月日
- ( ~ 雄略天皇23年8月7日)
- 没年月日
- (雄略天皇23年8月7日 ~ )
- 出来事
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雄略天皇23年8月7日雄略記では己巳年八月九日。
雄略天皇が崩じる。
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十三年八月丙子条】 -
(雄略天皇23年8月7日 ~ )
新羅征伐の将軍吉備臣尾代は行軍して吉備国の自分の家に立ち寄った。
後に率いられてきた五百人の蝦夷らは天皇崩御を聞いて「我が国を治める天皇は既に崩じた。時を失ってはならない」と語った。
そこで集まって付近の郡を侵略した。尾代は家から駆けつけて、蝦夷と
娑婆水門 で合戦して弓を射た。
蝦夷らは或いは躍り上がり、或いは伏せて矢をうまく避け、ついに射ることが出来なかった。
尾代は弓弦を鳴らして、海浜の上で踊り伏していた二人を射殺した。
二つのやなぐいの矢も尽き、船人を呼んで矢を求めたが船人は恐れて逃げてしまった。
尾代は弓を立て、弭を持って歌を詠んだ。「
瀰 𦤶 儞 阿 賦 耶 嗚 之 慮 能 古 阿 母 爾 擧 曾 校異:阿每爾擧曾(あめにこそ:天にこそ)。あもにこそは、母にこそ。枳 擧 曳 儒 阿 羅 每 矩 儞 儞 播 枳 擧 曳 底 那 」歌い終ると自ら数人を斬った。
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十三年八月丙子条】-
浦掛まで追って人を遣わして悉く殺させた。
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十三年八月丙子条 一本云】
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