闘鶏大山主
- 名前
- 氏(ウジ):鬭鷄【日本書紀】(つけ)闘鶏
- 姓(カバネ):稻置【日本書紀】(いなき)稲置
- 名:大山主【日本書紀】(おおやまぬし, おほやまぬし)
- 生年月日
- ( ~ 仁徳天皇62年12月29日)
- 没年月日
- (仁徳天皇62年1月1日 ~ )
- 出来事
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仁徳天皇62年
額田大中彦皇子が
闘鶏 で狩りをした。時に皇子が山の上から野の中を見ると物があり、その形は
【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇六十二年是歳条】廬 のようだった。
使者を遣わして確認させると、還ってきて「窟 でございます」と言った。
そこで闘鶏稲置大山主を呼んで「あの野の中にあるのは何の窟だ」と問うと、「氷室でございます」と答えた。
皇子が「その納めた様子はどうなっているのか。またどのように用いるのか」と言うと、「土を掘ること一丈余。萱をその上に葺き、厚く茅すすきを敷いて、氷を取ってその上に置きます。夏を越しても消えません。その用途は熱い時期に水酒に浸して用います」と言った。
皇子がその氷を持っきて御所に献上すると天皇は喜んだ。
これ以後、師走になるたびに必ず氷を納め、春分になると始めて氷を配った。
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