紀小弓

  • twitterでツイートする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
名前
  • 氏(ウジ):紀【日本書紀】
  • 名:小弓【日本書紀】(おゆみ, をゆ
  • 紀小弓宿禰【日本書紀】(きのおゆみのすくね, をゆすくね)
  • 小弓宿禰【日本書紀】(おゆみのすくね, をゆすくね)
性別
男性
没年月日
雄略天皇9年3月
  • 白城宿禰しろきのすくね【日本書紀 巻第十四 雄略天皇九年五月条, 紀氏家牒逸文, 新撰姓氏録抄 第一帙 第十巻 和泉国皇別 坂本朝臣条】
先祖
  1. 白城宿禰
    1. 紀角宿禰
      1. 建内宿禰
      2. 宇乃媛
    2. unknown
  2. unknown
配偶者
  • 吉備上道采女大海きびのかみつみちのうねめおおしあま【日本書紀 巻第十四 雄略天皇九年三月条】
  • 紀大磐きのおおいわ【日本書紀 巻第十四 雄略天皇九年五月条】【母:不明】
出来事
  • 雄略天皇9年3月

    雄略天皇が紀小弓宿禰・蘇我韓子宿禰大伴談連小鹿火宿禰らに勅して「新羅は西の国にあって世を重ねて臣を称した。朝聘を違えることはなく、貢物も適当だった。朕が天下の王になってからは対馬の外に身を置き、跡を匝羅(さわら)朝鮮の地名。に隠して高麗の貢物を阻んで百済の城を呑み込んだ。また朝聘を欠いて貢物を納めることもない。狼の子のように野心があり、飽きては去り、飢えては近づく。お前たち四卿を大将に任ずる。軍を以って征伐して天罰を加えよ」と。

    紀小弓宿禰が憂え訴えて大伴室屋大連に言うには「私は拙いですが謹んで詔を承ります。しかしいま私の妻が死に際にあり、私を世話してくれる者がおりません。どうかこの事を詳しく天皇に申し上げて欲しい」と。
    そこで大伴室屋大連は詳しく奏上した。
    天皇はこれを聞いて悲しみ歎き、吉備上道采女大海を紀小弓宿禰に賜り、世話をさせるために自ら送り出した。

    紀小弓宿禰らは新羅に入って行く先々の郡を占領した。
    新羅王は夜に四方から皇軍の鼓の音を聞いて(とく)の地を全て占領されていることを知り、数百の騎兵と共に逃げ乱れて大敗した。
    小弓宿禰は追撃して敵将を陣中で斬った。
    喙の地は平定したが残兵は降伏しなかった。
    紀小弓宿禰は兵を収めて大伴談連らと合流した。また兵を整えて残兵と戦った。

    夕刻、大伴談連紀岡前来目連は力闘して死んだ。
    談連の従者で同姓の津麻呂はその後、軍中に入って主を探した。
    しかし軍中には見えず、「我が主の大伴公は何処においででしょうか」と尋ねた。
    ある人が「お前の主は敵の手によって殺された」と告げて屍の処を指し示した。
    津麻呂はこれを聞くと足を踏みならして叫び、「主は既に死んでしまった。何のために独りで生きなければならないのか」と言うと敵中に入って死んだ。

    しばらくして残兵は自ずと退いた。皇軍もまた退いた。
    大将軍紀小弓宿禰は病気になって薨じた。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇九年三月条】
  • 雄略天皇9年5月

    采女大海は小弓宿禰の喪に従って日本に帰った。
    そして大伴室屋大連に憂え訴えて「私は葬る地を知りません。どうか良い地を教えて下さい」と言った。大連はすぐに奏上した。
    天皇は大連に勅して「大将軍紀小弓宿禰は竜のごとく()がり、虎のごとく睨んで八方を眺めた。逆賊を討って四海を平定した。しかし身を万里に労して三韓に命を落とした。哀矜を致して視葬者(はふりのつかさ)をあてよう。大伴卿と紀卿は同国の近隣で付き合いも長い」と。
    大連は勅を受けて土師連小鳥に墓を田身輪邑(たむわのむら)に造らせて葬らせた。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇九年五月条】