海部赤尾
- 名前
- 氏(ウジ):海部【日本書紀】(あま, あまべ)海部
- 姓(カバネ):直【日本書紀】(あたい, あたひ)
- 名:赤尾【日本書紀】(あかお, あかを)
- 吉備海部赤尾【日本書紀】(きびのあまのあたいあかお, きびのあまのあたひあかを, きびのあまべのあたいあかお, きびのあまべのあたひあかを)吉備海部赤尾
- 生年月日
- ( ~ 雄略天皇7年12月30日)
- 没年月日
- (雄略天皇7年1月1日 ~ )
- 出来事
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雄略天皇7年
雄略天皇は田狭臣の子の弟君と吉備海部赤尾に新羅討伐を命令した。
このとき側にいた
西漢才伎 西漢氏に管理された大陸系帰化工人。が進み出て「もっと優れた者が韓国 には多くおります。召し上げてお使い下さい」と奏上した。
天皇は群臣に詔して「それでは歓因知利を弟君らに副えて百済に遣わし、併せて勅書を下して優れた者を献上させよ」と。
弟君は命を受け、衆を率いて百済に入った。その国に入ると国神が老女に化けて忽然と路に現れた。
弟君は行き先が遠いのか近いのか尋ねた。
老女は「さらに一日歩いたらたどり着くでしょう」と答えた。
弟君は道が遠いと思って征伐せずに帰った。
百済が奉った今来 の才伎 帰化工人。を大島の中に集めて風待ちに託けて久しく留まり月を重ねた。任那 国司の田狭臣は弟君が帰ったことを喜んだ。
そして密かに百済に人を遣わして弟君を戒めて言うには「お前の首領はどれほど堅固で人を討てるというのか。伝え聞くところによると天皇は我が妻を召して既に子供もいるという。今恐れることは我が身に禍が及ぶこと。備えておくべきだ。我が子のお前は百済に留まって日本に帰るな。私は任那に留まって日本には帰らない」と。弟君の妻の樟媛は国家を思う心が深く君臣の義は確かだった。忠心は白日を越えて節は青松のそれに過ぎていた。
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇七年是歳条】
それでこの謀反を憎んで密かにその夫を殺して部屋の下に隠して埋めた。
そして海部直赤尾と共に百済の奉った手末才伎 を率いて大島にやってきた。
天皇は弟君がいなくなったことを聞いて日鷹吉士堅磐固安銭を遣わして復命させた。
そして倭 国の吾礪 の広津 廣津。此云比慮岐頭。邑に置いた。しかし病死する者が多かった。
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