天鈿女命

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  • 天鈿女命【日本書紀】(あうず, あまうず, おず, あまおず古語天乃於須女
  • 天鈿女【日本書紀】(あうず, あまうず
  • 天宇受賣命【古事記】(あうず, あまうず)天宇受売命
  • 天宇受賣神【古事記】(あうず, あまうず)天宇受売神
  • 天鈿賣命【先代旧事本紀】(あうず, あまうず)天鈿売命
  • 天鈿賣【先代旧事本紀】(あうず, あまうず)天鈿売
キーワード
  • 猿女君(さるめのきみ)遠祖【日本書紀 巻第一 神代上第七段】
  • 猿女君等之祖【古事記 上巻】
  • 猿女上祖【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第一】
  • 猿女君等祖【先代旧事本紀 巻第三 天神本紀】
性別
女神
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 三十二人の防衛【先代旧事本紀 巻第三 天神本紀】
  • 五伴緒いつとものお五部神いつとものおのかみ【古事記 上巻, 日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第一】
出来事
  • ・・・
    • 素戔嗚尊が姉に会おうとやってくるのを見て、これを日神に知らせる。

      ここでは岩戸隠れの後の話。この一書では岩戸隠れの部分で、アメノウズメは出てこない。
      【日本書紀 巻第一 神代上第七段 一書第三】
  • 天照大神天石窟(あめのいわや)にこもった際に、手に茅纒之矟(ちまきのほこ)を持って、天石窟戸の前に立ち、巧みに踊った。また天香山の真坂樹を頭に巻き、(ひかげ)をたすきにし、火を焚き、ひっくり返した桶に乗って、神懸ったように喋った。

    【日本書紀 巻第一 神代上第七段】
    • 天宇受売命は天香山の天之日影(あめのひかげ)を襷にかけ、天之真拆(あめのまさき)を鬘とし、天香山の笹の葉を束ねて手に持ち、天之石屋戸(あめのいわやど)に桶を伏せて踏み鳴らし、神懸りして、胸乳を出し、裳の緒を陰部まで押し下げた。それで高天原が動くほどに八百万神は一斉に笑った。
      天照大御神は怪しみ、天石屋戸をわずかに開いて中から言うには、「私が隠れて天原は闇に包まれ、また葦原中国もすべて闇に包まれたでしょう。なのになぜ天宇受売は歌舞いをして、また八百万の神々は笑っているのだろう」と。そこで天宇受売は「あなた様より貴い神がおられるのです。それで喜び、笑い、楽しんでいるのです」と言った。

      【古事記 上巻】
    • 真辟葛(まさきのかずら)を鬘とし、蘿葛(ひかげ)蘿葛者比可気を襷とし、笹の葉飫憩(おけ)の木の葉を手草(たくさ)今多久佐とし、手に鐸をつけた矛を持ち、石窟戸の前に誓槽(うけふね)古語宇気布禰。約誓之意。を伏せ、庭火を灯し、巧みな芸をした。

      この神は強悍で、猛々しかった。今の世で強い女を「おずし於須志」というのは、これがそのもとである。

      【古語拾遺 神代段】
  • 日子番能邇邇芸命が天降るとき、天之八衢(あめのやちまた)に居て、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神がここにあった。それで天照大御神高木神の命令で、天宇受売神に詔して「お前はか弱い女だけれども、相対する神と面と向かっても気後れしない神である。それでお前が行って『我が御子が天降る道に、そのようにして居るのは誰か』と尋ねよ」と。
    それで問い質してみると、「私は国神で、名を猿田毘古神と申します。ここに出ているのは、天神の御子は天降ると聞きまして、御先導を仕え奉るためにお迎えに参ったのです」と答えた。
    こうして天児屋命布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命玉祖命の、合わせて五伴緒五族の長。を分け加えて天降らせた。
    天照大御神を岩屋戸から招き出した八尺(やさか)勾璁(まがたま)と鏡、及び草那芸剣(くさなぎのつるぎ)を賜り、また常世思金神手力男神天石門別神を副え、詔して「この鏡は、ひたすらに私の御魂として、私を拝むように斎き祭りなさい。次に思金神は先に述べたように取り扱って政治をしなさい」と。

    そこで詔して、天津日子番能邇邇芸命天之石位(あめのいわくら)高天原の御座。を離れ、幾重にもたなびく天雲を押し分け、威をもって道をかき分け、天浮橋(あめのうきはし)の浮島に立って、竺紫(つくし)日向(ひむか)高千穂(たかちほ)くじふる岳槵触山のことか。原文は「久士布流多気」に天降った。
    そして天忍日命天津久米命の二人は天之石靫(あめのいわゆぎ)を負い、頭椎之大刀(くぶつちのたち)を佩き、天之波士弓(あめのはじゆみ)を持ち、天之真鹿児矢(あめのまかこや)を手に挟み、面前に立って仕えた。

    そこで詔して「この地は韓国(からのくに)に向かい、笠紗(かささ)の岬に真っ直ぐ通じ、朝日が直射する国であり、夕日が照る国である。故にこの地はまことに良い地である」と言うと、地底の磐石に太い宮柱を立てて、高天原に届くほどに千木を高くして住んだ。

    そこで天宇受売命に詔して、「この先導して仕えた猿田毘古大神は、正体を明らかにしたお前が送りなさい。またその神の御名は、お前が負って仕えなさい」と。
    こうして猿女君(さるめのきみ)らは、その猿田毘古之男神の名を負って、女を猿女君と呼ぶわけがこれである。

    それでその猿田毘古神は、阿邪訶(あざか)にいるとき、漁をして比良夫貝(ひらぶがい)にその手を挟まれて、海水に沈み溺れた。それでその沈んでいるときの名を底度久御魂(そこどくみたま)という。その海水の泡粒が上がるときの名を都夫多都御魂(つぶたつみたま)という。その泡が裂けるときの名を阿和佐久御魂(あわさくみたま)という。

    猿田毘古神を送って帰って来ると、すぐにあらゆる大小の魚を追い集めて、「お前たちは、天神の御子にお仕え奉るか」と尋ねると、魚たちは皆が「お仕え奉ります」と言った中で、海鼠(なまこ)だけが答えなかった。そこで天宇受売命は海鼠に「この口は答えない口か」と言って、紐小刀(ひもかたな)でその口を裂いた。それで今でも海鼠の口は裂けている。
    こういうわけで、御世ごとに(しま)志摩が速贄を献上するときに、猿女君らに賜うのである。

    【古事記 上巻】
    • 天照大神の命令で、五部神の一神として天津彦彦火瓊瓊杵尊に付き従い、葦原千五百秋之瑞穂国(あしはらのちいおあきのみつほのくに)に天降る。

      降ろうとするときに、先払いの神が還ってきて言うには、「一柱の神が天八達之衢(あめのやちまた)道の多く分かれる所。におります。その鼻の長さは七(あた)。背の長けは七尺余り。まさに七尋(ななひろ)と言うべきでしょう。また口尻口と尻、または口の端かは不明。は明るく輝き、目は八咫鏡のようで、照り輝いていることは、赤酸醤(ほおずき)に似ています」と。そこで神を遣わして問わせた。時に八十万神(やそよろずのかみ)がいたが、皆眼光の鋭さに話が出来なかった。そこで特に天鈿女に勅して「お前は眼光の鋭さに勝る神である。行って尋ねなさい」と。
      天鈿女はその胸の乳をかき出し、裳の帯を臍の下まで押し下げ、笑って向かい立った。この時、衢にいる神は尋ねて「天鈿女よ。あなたがこのようなことをするのはどうしてですか」と。対して「天照大神の御子がおいでになる道に、このようにいる者は誰ですか。あえて問う」と。衢神は「天照大神の御子が、今まさにお降りになられると聞きました。それでお迎え奉ろうと思って待っているのです。私の名は猿田彦大神です」と答えた。時に天鈿女はまた尋ねて「お前が私より先に行くのか、それともお前が私より先に行くのか」と。答えて「私が先に道を開いて行きましょう」と。天鈿女はまた尋ねて「お前はどこに行くのだ。皇孫はどこにおいでになるのか」と。答えて「天神の御子は筑紫(つくし)日向(ひむか)高千穂(たかちほ)槵触(くしふる)の峰においでになるでしょう。私は伊勢の狭長田(さなだ)五十鈴(いすず)の川上に行くでしょう」と。そして「私の出所を顕わにしたのはあなたですから、あなたが私を送って下さい」と言った。天鈿女は還って報告した。
      そこで皇孫は天磐座(あめのいわくら)を離れ、天八重雲(あめのやえたなくも)を押し分け。勢いよく道を別けに別けて天降った。遂に先の約束のとおり、皇孫は筑紫の日向の高千穂の槵触の峰に着いた。その猿田彦神は、伊勢の狭長田の五十鈴の川上に着いた。そして天鈿女命は、猿田彦神の求めるままに送った。時に皇孫が天鈿女命に勅して「お前は顕わにした神の名を姓氏とせよ」と。そして猿女君(さるめのきみ)の名を賜った。それで猿女君の男女らを、皆呼んで君というのは、これがそのもとである。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第一】
    • 天祖天照大神高皇産霊尊が互いに語り合って言うには、「葦原瑞穂国(あしはらのみずほのくに)は、我が子孫が王となるべき地である。皇孫が行ってよく治めなさい。宝祚(あまつひつぎ)の栄えること、天壌無窮であれ」と。
      そして八咫鏡と薙草剣の二種の神宝を皇孫に授け賜い、永く天璽(あまつしるし)とした。いわゆる神璽(みしるし)の剣・鏡がこれである。矛・玉は自ずと従った。
      そして勅して「我が子よ。この宝の鏡を見ることは、私を見ることと同じだと思いなさい。床を同じくし、殿を共にして、(いわい)の鏡としなさい」と。
      そして天児屋命太玉命・天鈿女命を副えて侍らせた。


      まさに降ろうとする間に、先駆けが戻ってきて、「一柱の神が天八達之衢(あめのやちまた)におります。その鼻の長さは七咫、背丈は七尺、口尻は照り輝き、目は八咫鏡のようです」と言った。
      従っていた神を遣わして、その名を問わせた。八十万の神は、皆顔を合わせることも出来なかった。
      そこで天鈿女命は勅を受けて向かった。そしてその胸乳を露わにし、裳の帯を臍の下に押し下げ、向かい合って嘲笑った。
      この時、衢神は「あなたは何故そのようにしているのだ」と尋ねた。天鈿女命は対して「天孫のお出でになる道に居る者は誰だ」と言った。衢神は答えて「天孫がお降りになると聞いて、お迎え奉るためにお待ちしている。我が名は猿田彦大神である」と言った。
      天鈿女命が「お前が先に行くべきか。それとも私が先に行くべきか」と尋ねると、「私が先に行って道を開こう」と答えた。天鈿女がまた「お前は何処に行くのか。また天孫は何処にいらっしゃるのか」と尋ねると、「天孫は筑紫(つくし)日向(ひむか)高千穂(たかちほ)槵触之峰(くしふるのたけ)に至り、私は伊勢の狭長田(さなだ)五十鈴(いすず)の川上に行こう」と答えた。そして「私を顕したのはあなただ。私を送って下さい」と言った。天鈿女命は還って報告した。
      天孫が降ることは、全てその通りであった。
      天鈿女命は求めに応じて送った。天鈿女命は猿女君(さるめのきみ)の遠祖である。顕わにした神の名を以って氏姓とした。今その氏の男女が皆、猿女君というのは、これがもとである。

      【古語拾遺 神代段】