住道人山杵
- 名前
- 住道人山杵【日本書紀】(すむちのひとやまき)
- 住道人山寸校異【日本書紀】(すむちのひとやまき)
- 山杵【日本書紀】(やまき)
- 山寸校異【日本書紀】(やまき)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 仁賢天皇6年9月29日)
- 配偶者
- 子
- 出来事
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仁賢天皇6年9月(4日 ~ 29日)
日鷹吉士が使者として遣わされた時、
【日本書紀 巻第十五 仁賢天皇六年是秋条】難波 の御津 に女人があり、哭いて言うには「母 にも兄 。吾 にも兄 。弱草 『弱草と言うのは、古に弱草を以って夫婦に喩えることをいう』とある。の吾 が夫 はや」と。
哭声は甚だ哀しく、人は腸を断つようだった。
菱城邑 の人鹿父はこれを聞いて前に向って「何をそんなに哀しく哭いているのだ」と言うと、女人は答えて「秋葱 の二重のように思ってほしい」と。鹿父は「諾 承知したの意。」と言った。即ち言葉の意味を知ったのである。
同伴者がいたが、その意味を知らずに「何を以って知ったのだ」と尋ねた。
答えて「難波玉作部鯽魚女は韓白水郎𤳉に嫁いで哭女を生んだ。哭女は住道人山杵に嫁いで飽田女を生んだ。韓白水郎𤳉とその女 の哭女は共に既に死んでいる。住道人山杵は先に玉作部鯽魚女を犯して麁寸が生まれている。麁寸は飽田女を娶った。麁寸は日鷹吉士に従って高麗に向った。これによりその妻の飽田女は徘徊して思いを巡らしては心を失い、心を傷めた。哭声はひどく切なかった。人は腸を断つような思いだったのだ」と。
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