桧隈民使博徳 名前 檜隈民使博德【日本書紀】(ひのくまのたみのつかいはかとこ, ひのくまのたみのつかひはかとこ)桧隈民使博徳 生年月日( ~ 雄略天皇8年2月30日) 没年月日(雄略天皇14年1月13日 ~ ) 出来事 雄略天皇8年2月 雄略天皇は身狭村主青・桧隈民使博徳を呉(くれ)国に遣わした。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇八年二月条】 雄略天皇10年9月4日 身狭村主青らが呉(くれ)が献じた二羽の鵞鳥を連れて筑紫に至った。 この鵞鳥が水間君の犬に喰い殺された。 水間君は恐れ憂えて黙っていられずに鴻(おおとり)十羽と養鳥人(とりかい)を献じて罪を贖うことを願った。 天皇はこれを許した。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十年九月戊子条】 鵞鳥は筑紫嶺県主泥麻呂の犬に喰い殺された。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十年九月戊子条 別本云】 雄略天皇12年4月4日 身狭青と共に呉(くれ)国に派遣される。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十二年四月己卯条】 雄略天皇14年1月13日 呉(くれ)国の使いと共に、呉が献じた手末才伎(たなすえのてひと)の漢織・呉織、衣縫(きぬぬい)の兄媛・弟媛らを率いて住吉津(すみのえのつ)に泊まった。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十四年正月戊寅条】