筑紫薩野馬 名前 氏(ウジ):筑紫【日本書紀】(つくし) 姓(カバネ):君【日本書紀】(きみ) 名:薩野馬【日本書紀】(さちやま) 名:薩夜麻【日本書紀】(さちやま) 生年月日( ~ 天智天皇9年12月30日) 没年月日(天智天皇10年11月10日 ~ ) 出来事 (天智天皇3年 ~ 天智天皇9年) 天命開別天皇の三年天智天皇称制三年、または天智天皇即位三年(天智天皇称制九年)の両方が考えられる。に、大伴部博麻の計画に任せて、土師富杼・氷老、弓削元宝の子と共に唐を出発する。 【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年十月乙丑条】 天智天皇10年11月10日 対馬国司が使いを筑紫大宰府に遣わして言うには「今月の二日に沙門道久・筑紫君薩野馬・韓島勝娑婆・布師首磐の四人が唐からやってきて言うには『唐国の使人郭務悰ら六百人、送使沙宅孫登ら千四百人。合わせて二千人が船四十七隻に乗って比智島(ひちしま)に停泊しました。語り合って、今我々の人や船の数は多い。急に向こうに着けば恐らく防人が驚いて射かけてくるであろう。そこで道久らを遣わして、予め来朝する意を明かにするため陳情します』と申しております」と。 【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年十一月癸卯条】