岐味
- 名前
- 岐味【日本書紀】(きみ)
- 生年月日
- ( ~ 642年3月8日)
- 没年月日
- (642年3月8日 ~ )
- 称号・栄典とても広〜い意味です。
- 内佐平【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇元年二月戊子条】
- 出来事
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642年3月8日
皇極天皇は阿曇山背連比良夫・草壁吉士磐金・倭漢書直県を百済の弔使の所へ遣わして消息を尋ねた。
【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇元年二月戊子条】
弔使は返答して「百済国主は私に『塞上はいつも悪さを働くので、還使に付けて返して頂くようにお願いしても朝廷はお許しにならないであろう』と言いました」と。
百済の弔使の従者らが言うには「去年の十一月に大佐平智積が卒去しました。また百済の使人が崑崙 の使いを海に投げ入れました。今年の正月には国主の母が薨じました。また弟王子の子の翹岐原文「又弟王子児翹岐」とあり、弟王子とその子の翹岐か。或いは義慈王の弟の子か。或いは弟王子・(義慈王の)子の翹岐か(弟よりも子を先に記述するのが自然か)。或いは義慈王の弟で、薨じた母の子、つまり義慈王の同母弟、、というのは回りくどくておかしいか。。、及びその同母妹の女子四人、内佐平岐味、高名な人四十余りは島に追放されました」と。
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