三野王 このページは作成途上です 性別男性 生年月日( ~ 天武天皇元年6月26日) 没年月日(持統天皇8年9月22日 ~ ) 父栗隈王(くるくまのおおきみ)【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】 先祖 栗隈王 難波皇子 敏達天皇 老女子夫人 unknown unknown 配偶者橘三千代(たちばなのみちよ) 子橘諸兄(たちばなのもろえ)【母:橘三千代(たちばなのみちよ)】橘佐為(たちばなのさい)【母:橘三千代(たちばなのみちよ)】牟漏女王(むろのおおきみ)【母:橘三千代(たちばなのみちよ)】 称号・栄典とても広〜い意味です。浄広肆(じょうこうし)【日本書紀 巻第三十 持統天皇八年九月癸卯条】筑紫大宰率(つくしのおおみこともちのかみ)【日本書紀 巻第三十 持統天皇八年九月癸卯条】 出来事 (天武天皇元年6月26日 ~ ) 大友皇子の密命を受けた佐伯男が筑紫に来た際に、武家王と共に父栗隈王の側を離れず剣を佩いて立ち、佐伯男の計画を断念させる。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】 持統天皇8年9月22日 筑紫大宰率を拝命する。 【日本書紀 巻第三十 持統天皇八年九月癸卯条】 関連美濃王(みののおおきみ)